
自分という本物探しの旅がこの世の人生
自分という本物探しの旅がこの世の人生
私は葛藤をしていてわかったことがある。
自分が完璧を求めすぎていた。
私が創始者としてオリジナルを提供するからには中途半端なものは出せないと思って一度にすべてを入れ込もうとしていた。
自分の集大成を最初から作ろうとしていた。
だから何かアイデアが湧いても、途中のままで納得せずに外に出す手前で終わってしまっていた。
何がいけないのかわからなかったがアイデアが降りてくるが、ただそれをメモして終わっていた。
自分が気付かせてあげなくちゃ、自分が助けてあげなくちゃ、自分が教えてあげなくちゃ、自分が面倒見てあげなくちゃ…といっぱい抱え込んでしまって、一人では抱えきれないほどのエネルギーを他者にあげようとしてしまっていた。
今思うこと、人は自分が体感し、自分で気付き、自分の意識の中で理解し、経験したり、スピリットに電流が走る経験をしない限り、大きな変化はしないということ。
その都度いろいろ経験し、自分の目で見て、耳で聞いて体で感じて、それで徐々に一歩ずつ進んでいくということ。一歩一歩着実に。毎日の積み重ねと地味な前進が人生を形作る。
焦っても急いでも、どんなに前のめりになってもうまくいかない。
努力して嫌なことを我慢して、無理やり自分を騙そうとしても、望む結果には近づくことはない。
リラックスして自分を信頼してどれだけ楽しむか。
過程を一歩一歩着実に歩む方がはるかに近道であり、遅い速いは人それぞれのペースと天のタイミングがあって、人間の力だけで事を全て成し遂げる必要もないこと。
真理さえ体感して腑に落ちて理解できていればあとはあなた次第で人生が創り出されていくということ。
人によって切り口が違うだけで、本質は同じ。本質は変わらない。
だから私は本質を伝えるし、本質に沿った生き方を望むし、実際に本質的な事だけを心がけている。
この本質が人によってたどり着くまでの過程が異なるし、語り口や見せ方、社会に対する貢献の仕方も多種多様で、形や見た目はどうあれ、結局はそれが真理であるということだけが真実であるということ。
だから私には私なりのやり方、切り口が合ってそれでいいのだ。
私が提供するものを必要としてくれる人に届ける。ただそれでいい。
自分が全ての責任を負わない。私が責任を負うのは自分の人生の生き方だけ。
相手の人生は相手の人生の生き方。私の人生の生き方ではない。
相手との境界線は明白に。
自分の中に取り入れてもいけないし、相手の中に取り入れられてもいけない。
常に自分フィールドの中で自分と、相手を見つめ、この状況をいかに俯瞰してみられるか、そしてそこに自分という人間をどれだけ乗せることができるか。
自分の感性を大切にすること、自分という生き方を確立すること。自分という人間を信頼すること。
その過程の中に人のまねをしたり、他人の意見を参考にしたり、実際に経験してみたり、勉強したり、といろいろなことをしていくだけ。
結局最後は自分という本物探しで、自分という本物を見つけた時あなたの本当の人生がはじまる。
その時これまで生きてきた自分の人生を振り返ることになるだろう。あなたは自分の人生を振り返ることでしか、自分という人間を理解できない。
自分の過去に向き合うことなく自分という人間を理解することはできない。
目をそらせばそらすほど自分が分からなくなり自分という存在から遠ざかるだろう。
自分の足で自分の道を切り開く。みちひらき。それをサポートするのが私の役目であり、それによって多くの恩恵を得ていくだろう。
