スピリチュアル,  覚醒への手引き

ライトボディ覚醒と現代社会のマトリックス構造/闇の契約解除とその背景にあるもの

全てのスターシードは地球に入ってくる時と、死後のエーテル界(霊界)で闇の存在(アルコン)とネガティブな契約を結ばされています。これは、魂の学びのために辛く苦しい人生を受け入れるとか、光の勢力からの支援を受け入れないとか、闇の存在と繋がるようになるとか、ライトワーカーとして目覚めて活動をしないといった、スターシードにとって不利で有害でしかない契約です。

私は初めて、闇の契約の解除の宣言文を読んだときとても変化を感じました。

何かがすっきりしたような感覚がありました。

それまでは頭の中で急に他人や家族に対してネガティブな感情のようなものに似せた何かが生じることがよくあったのですが、大抵それは人間関係をこじらせるような対立や競争や不調和を生むための、毒のあるような発言を誘導する、磁気の強い思考の恣意のようなものでした。

しかし自分自身のものとは思えない。突発的で、衝動的で、情動的でありながら、自分のものではないのか?どこからこんな毒が出るのか?よくわからない反射的反応がありました。突然そのようなものが生じるので、なぜなのかはわからず、自分を通して、何か、闇の攻撃エネルギーが放出されているようでした。

闇の契約解除の宣言文を読むようになってから、そのようなことがどんどん減っていきました。

闇の契約の解除の宣言文については、他の方も記載している通り、たった1回だけでは完全には全ては終わらないです。

たった1回でさえ効果がありますが、インプラントの埋め込みによる影響があるために、長期間寝たきりだった体を動けるようにするために、筋トレをするかのごとく、定期的に解除の宣言文を読む必要があります。

私が闇の契約の解除の宣言文と出会ったのは、自分自身のライトボディが肉体に入った後でした。それ以前にそれを見ていても、なんだか怪しいやつかなぁと思って思い過ごしたりしていたので、ライトボディが入って初めて、これをやってみようと言うことになったのです。

自分の自我が闇の契約の解除を実行する事を、ハイヤーセルフが実施したのだとわかります。

自分自身の周波数をかなり上げていないと、この闇の契約の解除の宣言文が本当に必要かどうかを疑ったり、戯言だとか他人事だと思ってしまいます。

私たちは肉体を持っていますが、肉体と重なるように、エネルギーの肉体も持っています。

生魚を食べたときに寄生虫のアニサキスがいると人体に取り込まれて激痛の腹痛が起きると耳にしたことあるでしょうか?

また腸の中にも様々な微生物が住んでいて、私たちは微生物によって行動を促されていると言うこともご存知でしょうか?

全くそのような形で、私たちのエネルギーボディにも、闇の存在が寄生して、私たちを乗っ取るような形で、精神や思考にマインドコントロールを施して、自我が言うことを聞くようにじわじわとハッキングしているようです。

私たちの内側に入り込んでいるインプラントシステムが機能し続けている間は、いつも自分を冷静に観察して、自己管理するのが賢明で得策です。

私は、闇の契約の解除の宣言文を知ってから、闇の契約の解除の宣言文を、気付いたときに読んだり、自分の名前を入れて、待ち受け画面を設定して、普段忘れてしまわないようにしています。

それから、スターシードが闇からの影響をクリアにするためには、サイキックサージェリー=エネルギーボディの霊的な外科手術も有効です。

闇の契約と同じように、脳内に埋め込まれているインプラントやプログラムがあります。

体内に埋め込まれているインプラントは除去できないものは、定期的に浄化する必要があります。

スターシードが、闇の契約を一度も解除していない場合は闇の契約が履行されています。

つまりそれは、スターシードにとって不都合で、闇の存在にとって好都合な状態です。

『インプラントの浄化や除去が徹底的に必要であり、重要である』ことの理解ができず、あるいは妨害が入ったりして、後回しにしたり気のせいにしたり、先延ばしにしたりして、インプラントの除去までたどり着けないようになっています。

私は、頭の中にも闇の契約に関わるインプラント(埋め込みプログラム)が入っていて、それをガイドと共に解除して取り除いてからは、かなり、自分の状態が変わりました。

以前にもまして、第三の目が開いてきました。正確には松果体が本来あるべき状態になりつつあり、本来見えるべきものが、徐々に見え始めています。

自分の部屋の中で、自分を偵察している、探査機が見える時もあり、自分のエネルギーボディの中にあるクリスタルがみえたり、自分の肉体が光っているのがわかったり、ガイドたちが周りに来ている様子や、レーザー光線を照射しているのが見える時もあります。

闇の存在は、私たちが見ている映像や聞こえている音を監視し、ライトワークを遂行する邪魔をしたりします。

大事な話の邪魔が入ったり、会話の中で、テーマが道から逸れるように中断させられたり、ハエや蚊が飛んできたり、感情的な引っ掛かりをつくるように対人トラブルが起きるように誘導されたりします。

闇の契約をしたスターシードが、ライトワーカーの妨害行為に利用されることはよくあります。

突然強烈に毒のある言葉を投げつけてきたり、じわじわと、カモフラージュしながら、ライトワーカーの力を弱らせるようなことをひそかにやっています。

一瞬憑依され、乗っ取られて、スパムメールプログラムにハッキングされたみたいに、無意識に妨害行為をしている人もいれば、元から闇の魂の人もいます。

小さな子供でさえ利用されます。無防備な子どもの中に入り、私にだけわかるような視線や合図を送ってきたこともあります。

サスペンス映画でも見ているかのように、普通の人が、顔がぶるぶるぶるっとなって、別の何者かがニヤリと笑いだし、主人公に攻撃をするようなイメージに近いです。

彼らの目的は、ライトワーカー同士の愛に基づく交流から引き離し、恐怖や不安や分裂を生み中違いさせることです。

闇の契約を解除するまでは『そんなことはありえないだろう』とか『闇とか契約とか、洗脳スピリチュアルの妄想だろう』とか、自分の中でどこか、疑う、他人事みたいな感覚があったんですが、契約を解除し、インプラントを除去、浄化してから、妨害行為が実在することがよくわかり、汚染されていたのは自分だったのだとよくわかりました。

どちらかと言うと、地球そのものの構造自体が、社会全体が、ライトワーク活動を妨害する仕組みが随所にちりばめられているわけで、私が眠っていたために気づかなかったのだなと、気づく場面が増えました。妨害行為がない場所を見つける方が難しい位です。

前はそんな風には見えなかったけれども、隠されていながら隠れきっていない闇の存在たちの思惑や意図が随所に見えるようになりました。

以前は、光だけを見ていたために、見落としていた重要な真実、とても大事なもの、隠されて、見えなくされていた、闇と光のコントラストがみえるようになり、グレーゾーンの曖昧なものや光側にみえる人さえ、闇に属している時があることがわかるようになりました。

一見、光側についているようにみえたり、本人は頑張っているように見えたり、カリスマ性のある人や、顔が広く人脈が多い人でさえ、闇側に属していて、外面からは判断できないこともあります。

人間以外でも、口にする飲食物さえ私は注意深く観察します。

どこかのお店に入ったとき、お店の中に並んでいる商品の原材料の中には、私たちがライトワーク活動をするのを妨げるような成分が入っていたりして、一般的なスーパーやコンビニ、SA、PA、観光地のお土産など、私が口にできるようなものはほとんどありません。

食べるか食べないかは個人の自由で、物理的には食べられても、食べるリスクを知っているのであれば絶対に食べることは選ばないと思います。

自分の体に取り入れてはいけないものがあまりにも多すぎるので、ライトボディが覚醒するまでは、そのエネルギーの違いにはなかなか気づきにくいでしょう。

ライトボディが覚醒し、機能し始めると、太陽とミネラルウォーター、植物のエネルギーが栄養の中心に変わってきます。綺麗な空気、綺麗な水、太陽の光のコードが食事になります。食べられるものもありますが、以前より格段に少ない量でまかなえたり、逆に、たくさん摂取しないと、食事から得られる光のエネルギー量が足りない場合もあります。

ライトボディが覚醒すると、人間の食生活、日常生活が毒されて、肉体の密度が濃く、周波数が低いことがよくわかります。

コンビニやスーパーに売っている添加物まみれの食材や抗生物質や農薬の入った乳製品や肉加工品や小麦や砂糖菓子などが睡眠薬のような役割を果たしています。あるいは麻薬のような役割を果たしています。

私たちはそれが自分にとって喜びをもたらすと思い込んでいるし、楽しみだと思っているし、ワクワクすると思っています。それがないと生きていけないと思っているし、それを体内に取り入れることによって、自分の体調が良くなるとさえ思っています。それがないと、つまらなくて、恐ろしいことだとさえ思っています。

人間は、普段、美味しい、喜びを感じる対象だと思い込んでいるものがなくなると、不安を感じますが、実際には、必要ない毒物ばかりです。

そこには、人体に寄生している闇の存在にとっての不安が反映されています。ネガティブな波動を人体にキープしておくために必要な人体構造を操作するための毒素が彼らにとって重要だと言うことです。

闇の存在たちは人間の意識を眠らせる食物を人間に気づかれないよう食べさせたいのです。

人間の生命エネルギーを本来の自然な状態に戻すためには、コンビニの食事や添加物や抗生物質や農薬の入ったような食べ物を口にするべきではありません。

しかし、私たちは眠らされているので、そのことに全く気が付きません。それどころか全く逆なのです。自分たちにとって本当に生命を危うくするような、必要のないものを絶対に欠かしてはいけない大切なものだと思い込んでいます。

私たちは本当に眠らされています。薬漬けにされています。薬物依存症のビデオを見させられたことがありませんか?薬物を乱用するとどうなるかと言う顛末を見たことがありますか?

私たちはそういうふうに脳の構造を変えられて、DNAの構造も変えられて、人体構造の全てが人体に寄生している闇の存在たちにとって都合が良いように変えられてしまっています。

闇の存在が生きていくためには闇や恐怖が必要です。人間が恐怖を感じ闇の存在の栄養になるようなエネルギーが必要なのです。

映画のモンスターズインクを見た事はありますか?あれは子供たちを夜中に驚かせて怖がらせて泣き叫んだ叫び声を集めて燃料にしているモンスターたちの話です。

怖い話やホラー映画や、ドキドキしたり先が読めない刺激的な話や、暴力的な映画やゲーム、レイプや背徳感、世界の戦争や紛争、私たちの中で恐怖に興味関心を持っていかれてしまう人たちは、完全に闇の存在たちの思惑通りになっています。人間を使って栄養を摂取しているわけです。

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闇の契約の解除を行うとこうしたことに対する興味関心や欲求といったものがどんどん減ってくると思います。

食べ物も自分が本当に食べたいものを選ぶようになるし、自分が食べたいと思っていないものは自然と食べないようになります。

誰かや何かが勧めてきても絶対にそれを受け入れない意識の明確さが保てる状態になるまで、闇の契約を解除し続ける必要があります。

無意識のうちに他人の持っている当たり前や常識といった、闇の存在たちが作り上げた幻想グリット世界=マトリックス構造の中に取り込まれないように気をつける必要があります。

私たちは、競争し、優劣をつけ、他より秀でることが良しとされ、同時に目立ってはいけないと、教育されてきました。そのために、自分に足りないものを探して、周りに合わせ、基本的に外側から、自分を偽り、自分に何かを付け加えるように教育されプログラムされています。

しかし真実はその真逆です。

付け加える必要は無く、むしろ削ぎ落とす必要があります。

精神を集中し、研ぎ澄まし、雑念を祓い、ただ自分に意識を合わせ、今にあり、今何が生じているかを観察し、判断せず、自分の望みを明確化し、自分のうちに生じるものの真偽を見極め、本質的自己の望みだけに意識を向け、集中し、意図的な決断=選択をし、自然に起きる流れを観察し、やってきた流れの中にあるサインを見つけて、またそれを次の望みに発展させ、精妙に観察し、選択し、次の今を紡いでいきます。

これが私たちの神聖なる自己、本質的自己、内なる神が本来あるべき自然な姿です。

自分の意見を一方的に他者に押し付けるスピリチュアルなエゴによるハラスメントは即座にやめなければなりません。

エイブラハムなりシークレットなりを読むときの心理は、願望を実現したい欲求があります。

願望を実現することは全く問題ありませんが『自分の今を否定している状態の時』には特別注意が必要です。

『自分の人生』や『今の自分の状況』や『目の前の現実』に対して

『抵抗』や『疑問』や『違和感』を無意識に感じとっていて

『自分の人生』や『今の自分の状況』や『目の前の現実』を

『受け入れたくない』『受け入れられない』

『変化させる必要がある』と言うような状態のとき

『自分の望みを叶えるにはどうしたら良いのか?』『自分の人生をより良くするにはどうしたら良いのか?』と

自分が望みを抱く時には、その時抱く願望の動機には着目する必要があります。

『自分には何かが欠けていて、不足していて、それを手にしたい』『自分に欠けているものを手に入れる方法が知りたい』というヴェールに覆われた意識が介在しているかどうか確認してください。

それは自我(エゴ)の抵抗です。

生きている中で、何かがおかしくて

『この感覚はなんだろう?』この『違和感や疑問やなんとなく何かを感じる』が『正体がわからない』『その謎を解く鍵になる“何か“が欲しい』

という『真実を知りたい欲求』を感じたことがありますか?

私たちは『変化』や『進化』

『本質的自己に回帰するための願望』を抱きます。

それには何ら問題はありません。

何かがおかしい、違和感は『本質的自己に回帰したい願望』に基づくものであり、健全な感覚です。

私たちの本質の深い望みは『本質的真実、神聖なる自己に還る』ことです。

私たちの本質には

『何かを手に入れたい願望』はありません。

本質は、何かを『望む』のであって、

『手に入れたい』のではありません。

『手に入れたい』は自分が対象と切り離されているという前提のもとに成り立ち『持っていない』『その要素は自分に含まれていない』分離の意識からきます。これは私たちの脳の機能が原因です。

『望む』とは『眺める』とか『見る』

という、静かで穏やかで自然な波動です。

闇の契約をさせられている間は、自分が眠らされているので意識的に本質の状態から切り離された状態にあり、自分は創造主とは切り離された別の存在で、自分には物事を決定する力はなく、自分で自分の人生の責任を取る力は無いとプログラムされています。

そうした、切り離された、幻の世界、虚像の世界、人工的に作られたヴェールの世界の概念、価値観は玉ねぎのように何層にも重なっていて

自分の中で当たり前として根付いているし、疑わないし、気づかないので、そんなことを考えることもないし、意識を向けないし、考えても答えは出ないのですが、

世の中には

真理をついた話をする人、

目が覚めた人、自分の真実に忠実でブレない人

がいて、そうした人たちが発する波動は、洗練されて澄み切っていて、何か他のものや人とは違うので、特別に惹きつけられる感覚がする時があります。『何かがにおう』ような感じです。

そのときでも、やはり怪しい人は怪しいですが。

『わからないが、何かありそうな気配がする』感覚。

無意識にひきつけられる、吸い寄せられる、目が離せなくなる、何度も頭の中に思い浮かぶ。などです。何だろう?何か気になる。なぜかはわからない。

これは、『ひきつけられる磁力』です。

私たちは電気です。宇宙もみんな電気です。電気信号であり、音波であり、波長であり、周波数であり、音であり、波であり、振動であり、ひかりです。

私たちは動く、回転する量子エネルギー、素粒子の集まりです。

惹きつけられる磁力は、小さいものほど大きな磁力に惹きつけられます。

本当に真実の自己が望むことが実現していく状態になるには『望んだ事=実現していく』ということを、腹のそこから体感を伴った実体験で、理解し、体得している必要があります。

それは、言い換えれば、潜在意識と現在意識にズレがなく一致して、どちらも100%確信している状態です。

たいていは顕在意識が理解できません。脳の機能が十分ではなく、右脳と左脳が分断されているからです。

創造主として望むときは、何か自分に欠けているものを外側から埋めようとする意識ではありません。

創造主の望みの過程は

知る、見る、眺める、が基本です。

自分が純粋に、それを使いたい、その人に会いたい、それを食べたい、それを着たい、という欲求は人間の生理機能的な欲求であり、生体機能を支障なくはたらかせるために、最低限満たされる必要のあることを満たす目的の指向性があります。

人間のほとんどは生理機能的な欲求を満たすための欲求と、

愛されたい、足りないものを埋めたい、自尊心を満たしたい、見栄やプライドを満たしたいという欠乏的要因に基づく渇望があります。

これは、外側から植え付けられた生存や安心にまつわるエネルギーです。自己信頼と、責任と、自由が、寄生存在の恐怖によりコントロールされている状態です。

創造主としての望みは、どちらかというと、高みの見物の状態です。ただ眺めて意識を向けて、観察する。それは、創造主の絶対的安心感、安定感、土台、基盤です。

巨大な隕石のように、強烈な磁場(電気エネルギーフィールド)を発生させます。その磁場が、さまざまなものを引きつけるのです。

創造主の道という、唯一無二のただ一本の敷かれたレール道があり、創造主はその唯一無二のただ敷かれた一本のレール道を通る以外に、別の道は通りません。それは創造主が自分で選び、自分で敷いた道です。

私たちは、創造主の道にしっかりピッタリ重なり合って治っている時、とても自然で快適でうまく全てが噛み合い、回り、巡り、心地が良いです。

私たちは創造主の道にいて、快適に心地よいのが自然な状態なのですが、たまに足を踏み外したり、誰かに引っ張られて、道から外れてしまいます

私たちが創造主の道からズレることはしょっちゅうあって、それはわざと、線路に石やブロックをおくイタズラ小僧がやるようなことです。

創造主の道に妨害物が置かれて、私たちは線路からはみ出してしまいます。

ガタガタと足場が悪く、ふらつく程度では済まずに

創造主の道から完全に外れてしまうと、真っ暗な音のない世界に放り出されます。

そうすると、創造主の道を探します

創造主のみちはどっちだったかな?

あっちかな?こっちかな?と。

どうしたら戻れるかな?と。

あるいは、何だろう見たことない道だな行ってみようかなと新しい道を歩み始めます。

創造主の道からズレているときは、ただズレを修復し、本来の自然な状態に戻るために、創造主の道に戻りたいという欲求と、未知の世界を探検したい好奇心、欲求が生じます。

望んだ事は必ず叶うというのは、間違いです。

望んでいることが叶うには、望みが本当に自分の望んでいることであれば叶います。

ハリボテの願いは叶いません、望んでいないからです。

引き寄せの法則においては、確かに望まないことでも、意識を向けたことは引き寄せられてきます。

だから、自分が引き寄せてしまう現実のしくみをしっかり理解して、習得して、習熟しないと、望まないことばかりを実現してしまいます。

地球はそれくらい、望まないものや環境に汚染されていて、自分が無防備にしていると、ばんばん周りから情報がやってきて、情報処理するだけで手一杯になってしまって、自分の望みに集中できない、本命の本題に入れない、そんな仕組みがあります。

情報を取捨選択する自己管理能力を徹底的に習得するまでは、自分が望まない情報に囲まれ、周りの環境や要素を通じて自分の意志に揺さぶりをかけて、どうにか本命や本題からズレるように、引っ張られてしまうわけです。

自分の軸がないと、自分が創造主にアンカリングしていないと、あっという間に真っ暗闇に行ってしまいます。

ここに言及する人はあまりいないですね。

私が経験していることとしては、ある1つの意図や目的や指向性を決定づけたとき、確かに現実はその方向で動いていきます。その中でやっぱり自分もしっかりと流れに乗って動いていくことも必要になります。

それはインスピレーションや直感や衝動や感覚、自分の内側からやってくるサインに気づいてそれをすぐに実行すると言うことです。

でもベストなタイミングというものがあってときには長期的な視野に基づいて忍耐強く待機している必要もあります。

大規模な望みを叶えるときには大抵たくさんの人たちが関わってくることになります。あるいは社会の大きな構造を変革していくことになるので、その辺を踏まえて、忍耐強くしている必要があります。

自分自身をマスターすると、つまりライトボディが覚醒して、地上でのマスターとしての活動が始まると、自分の望みが必ず創造主の意図と一致するようになっています。創造主やハイヤーセルフの意識や望みとずれるということが起こり得ることがないのです。

むしろそうしたようなずれた状態になったときには違和感や変な感覚がやってくるので、すぐにわかります。そのためいつも自分の内側に集中して過ごし微細な変動を感じ取る必要があります。

なので細かな修正を付け加えつつも、大枠の方向性や望みや意図といったものがズレることなく1つに焦点を当てながら、定期的に自分の望みを確認しておく必要があります。

長期的なプロジェクトになるので、自分の意図や望みが以前と変わらず同じ方向を向いていることを指し示しておかなければなりません。でなければ軸がぶれてしまってベクトルが変わってしまうので、そのためにまたやり直さなければならないからです。

つまり強い意志と望みと決断と、それを実行すると言う自己責任の力を行使するバランスが必要になってきます。

だから禅では、煩悩を削ぎ落とし、一般社会と関わらないで、こもってお経、マントラを唱えて、修行し、無我の状態をつくるわけです。

それは現代の作られた幻想、マトリックスから抜けるため、目覚めるために通る過程です。

仏になるというのは、眠らされている状態から目覚めること、覚醒、悟りは、人間が思っているような、日常の中で起きる簡単なアハモーメントではなくて、常に目が覚めた状態になることです。

眠りの玉ねぎの階層を幾重にもくぐり抜けて、トンネルを潜ってようやく、本来いるべき場所にたどり着きます。

私たちは本当に何も知らないで生きています。

引き寄せの法則に忠実に、ソースの波動で生きるを一年以上実行すると、本当に宇宙がそういう仕組みであることがよくわかります。

大体の人は自分の望みに対して、

そんなの自分には無理だろうとか、自分にはそれはふさわしくないとか、それをするためには苦労しなきゃいけないとか、すぐに手に入らなかったら、やっぱり自分にはふさわしくなかったんだとかそういうふうに、考えたり決めつけたり思い込んだりして、自分が本当に望んでいることの実現を諦めて

逆に自分が本当は望んでいないことばかりを、妥協して、望むようになります

幼少期のトラウマ、刷り込み、家系のカルマ、アダルトチルドレンと言われているようなものや、インナーチャイルドと呼ばれている傷ついた子どもの記憶が、癒されるまで同じパターンを繰り返します。

壊れたレコードプレーヤーみたいに、あるメロディ部分だけが音が外れていて、再生するたびに、同じところだけ、半音ずれたメロディが流れてしまい不快に感じる状態です。

ある特定のメロディーが鳴ると不快な気分を引き起こすと言うように学習反射的な反応を見せるようになります。

スターシードの場合は、闇の契約をしているのでどうしたって、初期設定を書き換えていない限りは、本当の望みが叶わないように設定されています。

どんなに望んでも諦めたり、途中でキャンセルしたり、本当の願いだけが、全然叶わない。

間違えたほうに誘導されてしまったり、本当の望みではない、間違った願望を植え付けられています。

私の場合は

自分にとって1番大事なのはライトワーカーとして生まれてきたことを思い出して、ライトワーク活動をどんどんしていって、ライトワーカーの仲間たちに再会して、仲間と協力しながらライトワークの活動を広めていくことだったんですが、どうしても、決定的な何かが、確信が、核が、抜けていてよくわからないというか、ぼんやりしたままだったんです。

地球の一般常識の世界でよしとされているものとか当たり前になっている概念とか価値観とかそういったものが完全に自分のものだと思い込んでいて、世間とか一般常識の中での成功みたいなものが自分にとっての成功だと思い込んでいて、自分の直観に従ってきたけど、本当にこれでいいのか?自分はおかいしいのか?間違っているのか?とか、自分が取り組んでいることがあきらかに普通とは違うし、頭がおかしい人だと言われるような、妄想なのかもしれないと疑う時もあり、長い期間、内なる葛藤が拭えずにいました。

人間でありながら、スターシードであり、闇の契約をしているがために、何のために生まれてきたのか?自分の感じる違和感は何なのか?他の人たちの普通や当たり前が自分には受け入れられませんでした。

それでも、天使やガイドや自分の直観を信じ続けて、途方もないくらい、闇やエゴとの戦いを続けて、諦めずに、やりきって、自分自身との関係性に取り組んだおかげで、スピリットや創造主との関係もわかり、自分が何をしに来たのかを思い出す目的が達成できました。

自分自身が何者でどこから来て何の目的を持ってきていて、地球でどんな役目を果たすかという事の意味や価値はスターシードにとって、自分の命より大事なものです。

スターシードには、仲間が必要で、闇の契約を解除して、やっとそれが理解できました。

私たちは本当につながっていなければならなくて、途切れていてはいけなくて、途切れていては目的が達成できないんです。

でもライトワーカーに活動されると困る存在たちは、私たちが目的を達成できないように分離し分断し対立し競争するようにと言う目的でインプラントや契約を私たちに組み込んでいるわけです。

現代の世の中のスピリチュアルな風潮では、ライトワーカー同士で争ったりライトワーカーとライトウォーリアどうして争ったり、地球の平和を望んでいるのに全然協力しあえていない現況があります。

日本のスピリチュアルブームも、様々なジャンルがあって、全てが分け隔てられている。それでは意味がなくて、私たちは魂のレベルでつながっていて肉体のレベルでもつながっていなければならないです。

今のスピリチュアル業界だと、自分の望みさえ叶えばそれでいいみたいな風潮になってしまっていて、自分の望みを叶えるためにスピリチュアルを勉強し、望みが叶えばそれで終わり。仕組みがわかったら、あとはエゴを満たすためにそれを使う。みたいな風になっています。

それはある意味で眠ったままにされている状態です。自分の願望や利己的な欲求が満たされればそれで終わり、そこまででストップと言うような感じです。

スターシードたちは、そこから本格的な活動していかないと自分たちの目的を果たせません。そこがやっとスタート地点ですが、大体の人がここまできて離脱します。

私がまだ眠っていた時、ガイドたちから、もうこれまでのやり方は通用しないと言われました。

私は自分が何をしているのかさえ気づいていませんでした。自分の直観に従いながら、ガイドに助けてもらいながら、しかしまだ眠ったままでした。

スターシード、ライトワーカーと交流をして一緒に協力しながら活動して、社会を変えて、動かしていく、社会の仕組みや構造を根本からひっくり返すために私たちは協力し合う約束をしてきていますが、そこにまで至らないで、一歩手前、自分と自分の家族さえ良ければいいで停まってしまうのをやめなければなりません。もちろん全ては自由意志ですが、私たちが目的を忘れたら、誰が目的を果たすのでしょうか。

私はたくさんの仲間を目覚めさせるために、たくさんの魂の家族に会わなければならないと自覚しました。

今まで切り離されて行った仲間たちは闇の存在が原因で離れて行った人ばかりです。

闇の契約をしているスターシードは中毒患者みたいなもので、毒性のあるものにひきつけられて、夢中になっているうちに帰る道を忘れてしまうのです。

文章だと説明が難しいですがこんな感じです。

エイブラハムヒックスは、ご存じですか?

宇宙の法則を理解するのに役立ちます。

私たちが知らされていない宇宙の法則があって、人間がそれを活用できていないと言う事は

自分たちの権利を活用できていないと言うことなのでそれがそもそもおかしいわけですから、その権利があり活用できることをエイブラハム は教えてくれています。

大事なのは、本当の自分を取り戻すことです。

本当の自分って何?って言ったら、

創造主としての自分であって、

世界を調和する、世界を創造する、

皆が喜びに満ちるような世界を作っていく存在であると言うことです。

愛や勇気や希望を消さないで、生命エネルギーを高めていく生き方です。

基本的にそういった指向性のエネルギーです。

でもそういうふうに言葉で表記すると、さもポジティブでいなければならないとか高い波動でいなければならないとかそういうふうに捉えてしまって義務やプレッシャーを感じる人が多いかもしれません。でも本質はそうではありません。

自然な流れに乗っていくと自然とそうなるのです。でもほとんどの人たちは頭で考えて思考の中だけでそれを行おうとしてしまうので自分にとてもストレスがかかってしまいます。

頭の中だけで考えていると途方もなく遠回りで、たどり着くまでに果てしなく感じてしまうからです。でも実際はそうではありません。脳機能がしっかりと機能するようになると、右脳と左脳がバランスを取る状態になるので、頭で考えすぎることもないし、頭で考えなさすぎることもないのです。バランスが良く統合されていると物事を遂行するための段取りが自然の流れの中で流れていく位スムーズになっていきます。

宗教は信者が信者の力やパワーを使わせない、権力者が上に立つためのものです。

マスターの教えは、本来は、エゴを削ぎ落とすためにある真理の教えですが、それを自分の利己的な満足のために誤用悪用する権力者たちが宗教を作っていきました。歴史にある事実と思われているようなことでさえ権力者にとって都合が良く書き換えられていることもあります。

科学だとか論理とか歴史とか権力者とか史実といったものは全てが正解ではありません。

それはある特定の対象を特定の見識から見た特定の価値観に基づく概念でしかないからです。

誰がどんな意図をもってそれを設定したのかわからないですよね?その本意や目的までわからないですよね?

しかしそれが当たり前に良いとされて正解であるとされて正しいとされて、絶対にそれが揺らぐことがないと言うような思い込みの中で私たちは生きています。

本質的自己として生きるためには、いつでも今にあって、いつも今が変化していくことに気づかないといけないです。

いつも過去に照らし合わせて、過去にこうなったからこうなるだろうと言う予測をしたり、推測をしたり、未来に向けて、今にまだ存在していないことに対して頭を使って思考をめぐらせるようなことも必要ないのです。

それは創造主の道から外れた道です。

本来私たちはそのようなあり方をする存在ではありません。それは不自然です。

それは意図的にそのようにさせられているようなもので、私たちはそれに気づいて自分からそれを止めなければなりません。

自分で気づいて自分で変える以外に方法がないからです。自分の自由意志を使ってください。

そしてそれが自分にとっての至高の善になるようにしてください。

そしてそれは宇宙に調和する形にしてください。

そしてそれは人々やすべての生命に敬意と尊重を与える形で実現するようにと意図をしてください。

私たちは何にも属さずに独立して自立していながらも、協力し合う仲間として、目覚めた人たちと協力しながら、眠っている人たちを目覚めさせるために、自分が真っ先に目覚めなくてはなりません。

私たちの意識が目覚める時は、0歳児から1歳になった位にしか成長していないのです。

人間のほとんどは0歳児のままです。

エイブラハム とエックハルトトールの解説は、余計なものを削ぎ落とし、真の望みを叶える方向に自分のベクトルが向いてるときに機能します。

人間関係においてある特定の誰かが自分の近くに来るとなんだか恐怖を感じたり、嫌な気持ちになったりネガティブな感情が湧いてくるときがあると思います。

いつもではなくても、なぜかその人が一緒の空間にいるととても居心地が悪くなったり、自分が萎縮するように感じたりすることがあります。

私の場合は父親がそれで、過去世におけるカルマの関係性だったわけです。それが解消された今もなおなぜかすごくネガティブな波動を感じる時があります。

それはまるで自分が攻撃されているように感じるのですが、実際にはそうではありません。

相手の波動が低くマインドの中に恐れや怒りや攻撃的なエネルギーが入っている時、それは私に対する攻撃かのように受け取るだけに過ぎません。

その人のエネルギーが、波動が周波数が、そうなっているからです。怒りや不満を持ったまま誰かの言いなりになっているとき、私の父は重く低い波動です。

これはスターシード同士の中で起こる、人間関係に誤解や誘発を生む要素です。

自分自身に向けられている個人的な感情ではないにもかかわらず、スターシードはそのような波動を自分に向けられている攻撃のように感じてしまいます。

特にインディゴチルドレンはそうです。他人のイライラや不満や不調、怒りなどを自分が攻撃されているようなエネルギーとして、敏感に感じ取ってしまいます。

だからそのような人と一緒にいると自分の気分が悪くなるしストレスが溜まるのです。

まるで自分がイライラしていて怒っているかのような感情を感じてしまいます。

実際にはただそのような波動を、同じ空間の中に共有していることになるので、本人が感じているかどうかは一切関係なくなってしまうのです。

つまり自分が存在しているエネルギーフィールド内にかぶさる形で、何か他の低い波動が存在することによって、自分がその低い波動に共鳴する共振装置のようになってしまうと言うことです。

本来は、愛に基づく関係性であれば、非常に良い関係性であり、相乗的な効果を発揮するような、素晴らしい魂のつながりを持っているにもかかわらず、

スターシードのうちどちらか一方が、闇の契約を解除していない場合や、闇の介入により、この現象が、仲違いや不調和を引き起こす原因となります。

敏感に察知する感覚を持つ人は、不快な波動を放っている相手と一緒にいるととても心地が悪く感じます。とげとげしくて荒々しくて、重たくて息苦しく、生命エネルギーを枯渇させるように感じるからです。

これはまた別の形を変えて生じることもあります。

自分自身の中にある闇のエネルギーを相手に投影するような形で現れます。つまり先ほど述べた例に限らず、どちらかがどちらかに対してネガティブな感情を感じるとき、それは自分自身の中にある、浄化できていない闇を感じていると言うことです。 

お互いがお互いを映す鏡の役割を持っているために、どちらか一方が良くてどちらか一方が悪いと言うわけではなく、どちらかが闇の契約を解除していてどちらかが解除していない、あるいはどちらも解除していない場合には、お互いがお互いのうちにネガティブな波動を反映しあってしまう関係性になるのです。

これは闇の契約による影響です。

闇のインプラントによる影響です。

スターシードやライトワーカーなど、霊能力に優れており磁気エネルギーフィールドが強烈に機能する光の力を持つ魂たちが協力し合うことが、闇の存在にとって、とても強烈に恐怖を感じることであるので、それを妨害したいのです。

私たちスターシード同士が仲間内で愛に基づく関係性を築き、協調や協力といった関係性において、光の活動をし始めると、闇の存在が危うくなってしまいます。闇はスターシードに寄生したり憑依することによって自分自身を維持しています。

何かに寄生していなければ存在できないので、その寄生先が磁力の強いスターシード、スターピープルになるのです。宇宙由来の魂でありとても霊能力を持ったようなそうした潜在能力を持ち合わせている魂、最も憑依しやすいDNAを持った存在に寄生します。

出来る限り感情的起伏を引き起こしてその感情的起伏によって恐怖のエネルギー生命エネルギーを吸い取りたいと思っているのです。

スターシードたちが、闇に対してやるべき事は、闇の契約の解除を真っ先に行って、自分たちのインプラントを浄化し、除去し、早く目覚めると言うことです。早く目覚めた後は、今度は仲間が目覚めるためのサポートに回っていくと言うことです。

眠っている状態でもお互いのために役立っていたり無意識にお互いのためにお互いの約束を果たすような方向性になっていることもありますが、それでもやはり闇の契約の解除をしない限りは、本当の本題に入っていくことが難しいです。

闇の契約が履行されていて、ライトワーク活動を妨害したり記憶を思い出さないようにすること、仲間に合わせないこと、光のサポートを受け取らないことなどが、有効化されているからです。

私たちはライトワーク活動をしに地球に来たにもかかわらず、ライトワーク活動をしないよう契約させられていると言うことです。

明らかに不利な契約ではありますが、地球に来るためには闇を通らなくては、入れなかったのです。

というわけで、私たちは見事に地球に潜入することができました。そしてようやくここにたどり着いて目覚めたライトワーカーたちが現れるようになって、私たちの幾人かは目覚めるようになりました。

大事な事は、目覚めた人たちが他のスターシードたちを目覚めさせていくために協力し合うと言うことです。

このような方向性に意識がシフトした時、それは宇宙と調和し、ハイヤーセルフと調和し、スピリチュアルチームと調和し、光の勢力のチームとして、全員で同じ方向を向いて、取り組んでいくことを、実際に自分が取り組めている、充実と喜びを感じることができます。

またそれらの行動や活動に際して、必要なサポートは光の勢力がしてくれます。

光のチームと活動する際に行き詰まる原因は、スピリチュアルのエゴの問題です。

スピリチュアルなエゴというのは、自分にとって倫理的、正しいと言うものを、他の人たちに押し付けて、他の人たちを変えさせようと強いることです。

支配したり、コントロールする事と同じように、スピリチュアルなハラスメントを行うことです。

本人が自由意志において望んでいない限り、私たちは誰かを助けることもできないし、彼らのサポートをすることもできません。もどかしい気持ちもありますが、一方的な押し付けは、光を吸収する闇のエネルギーです。

善悪や優劣といった感覚の押し付けはネガティブなエゴによるもので私たちの本質ではありません。

目覚めているからといって偉いわけではなく、目覚めていないからといって悪なわけではありません。

私たちは、本来創造主として自由であり、主権を持ち、独立し、自立した存在であり、銀河法典に則って、ライトワークを、仲間と共に協力し、行動し、活動し、銀河法典に沿った活動をする事が許されています。

光の活動倫理の銀河法典では、相互尊重が大前提条件となっています。

私たちは宇宙の叡智を活用してどうにかこの闇に侵食された地球の中の汚染された部分に影響されることなく、常に自分を光の中心からずらさないよう心がけ、慌てず冷静に、活動していきましょう。

私たちはカビの生えたまな板を漂白する漂白剤のような役割を果たしています。

まな板は地球で、カビは闇、漂白剤はライトワーカーで、漂白剤をまく人は創造主です。

私たちは漂白剤としてカビのあるところに向かっていき、白い泡を使って包み込み、闇をとかして変質させ変容する役目を果たします。

白い泡がどう機能するかは、ライトワーカー一人一人の役割に基づいており、創造主の意図に基づくものです。

私たちはチームであり一つの曼荼羅を織りなす構成要素の一部分です。曼荼羅の一部として機能するためには、自分自身の任務に集中します。

自分にきたサインやガイダンスは、自分に向けられたもので、自分が受け入れ実行すべき道標です。

他者に何かを強要してはならないし、私たちは他人を変えるために存在するのではありません。

私たちは、光の活動をして、光を広めて、光によって宇宙の戦争をなくし、宇宙平和を実現するためにいますが、ライトワーカーの任務は100人100色あります。自分の立ち位置は自分にしかわかりません。だから自分のうちなる感覚に従うことが大切です。

ライトワーカーは、3次元遊園地の誘惑に溺れて寄り道していると、何か大事なことを忘れているぽっかり空いた穴がある感覚になります。

私たちが駆逐するべきは、闇の存在たち、黒幕や汚染や感染であって、人間それ自体ではありません。

確かに人間は地球を汚染するし、下等動物だし、何もわかっていない無知で、じれったい存在に見えるかもしれませんね。

私たちはただ純粋に光の活動を遂行するレンジャー隊です。

私たちはライトワーカーとして、崇高な目的を果たすために、自分自身を清め、必要のないものを手放し、浄化し、不要なものを外して、そぎ落として、そして地球全体からも、まやかしや幻や幻想といった作られた創造的マトリックスを破壊して、新しい世界を創造するよう活動していくのが役目です。

それは美しい音楽や芸術色や調和した和音など芸術作品、人々との協調や協力、共同創造、植物、動物、鉱物と共に行う、美しい世界の再生と言うことです。

私たちはいつでも真実に忠実でなければなりません。

本質的自己は真実と一体です。

誠実と一体で調和と一体です。

本質的自己には嘘や偽りや偽善やエゴやプライドや見栄といったものはありません。

私たちはトラップ、ギミック等に引っかからないように注意深く歩みを進めていく必要があります。

自分が歩いている道をしっかり見極めて、どの道を歩いていて、どの方向に向かっているのかを、常に管理管制していなければなりません。

自分自身をマスターすると言う事は、自分自身をコントロールし、本質的自己の忠実性を保って存在すると言うことです。

自分の本質から1ミリもずれない。

ずれたら悪いとか良いとか自分に罰が与えられるとかそういうことではありません。失敗とか成功とかそういうことでもありません。

自分自身の本質から1ミリずれてしまえばそれははみ出しているし、ズレているのです。

わかりますか?ずれているというのはどういうことだと思いますか?自分自身からずれているのです。

自分の道から少しずれているのです。

何かおかしいし何か変です。

だからしっくりこないし気持ちが悪いのです。

自分が自分の本質にカチッとはまっていれば、何の心配もなくすべてが物事がうまくいくし、スムーズに運びます。

自分に必要でないものはやってこないし、自分が本当に望まない事は、自分の望みではないと理解することができます。

本当に自分が望んでいる事は、容易に叶います。

必ず叶うのは、真の自分の望みだからです。

普通は何かを望むから、望みが叶うと思い込んでいるいますし、それが当たり前だと思っていると思います。

しかし逆です。

叶うから望むのです。

叶うと分かっていることを望むのです。

叶うとわかっているとはどういうことか?

私たちは本来

『とてもすばらしい

とても喜びに満ちる

宇宙がとても調和して

楽しく面白く

静けさと光の音でできている

私たちはそれを知っている

それがわかっている』

のです。愛に基づくものが当たり前にあり、起きる。それが自然な私たちの在り方。

しかし、3次元では、そうであるはずのことがそうではない。おかしい。

だからです。

選んで選択する

自分の意識や意図をそこに設定する

『本来あるべき自然な状態に還る』と。

自分で自分のカーナビにプログラムをダウンロードし自宅の目的地を入力すると言うことです。

それは自分で行うべきことであり、自分自身にしかできないことであり、自分でそれをするしかありません。

そしてそれはあなた自身の特権でありそれはあなたのためのもので、創造主によるものです。

あなたが地球にきた目的は何か?

あなたのソースに聞いてみてください。

私は尋ねてからすぐに回答がきました。

私は『テスティモニー』でした。

皆が信じない真実を体験し、ソースの言葉や真理を、体験を交えて人に『証言をすること』が役割だとわかりました。