
根源の愛とは?神の愛とは?天使の愛とは?
今日は質問に応えたいと思います。
『根源の愛とは?神の愛とは?天使の愛とは?簡単に言ってどの様に理解したら良いのでしょうか?私達人間には、生まれ持った、人に優しくしたいという思いは、幼き頃からは、持っていますが。何かしら大人になるにつれて、幼き頃の純粋な思いが、遠ざかっていくような気がいたします。それは、何故でしょうか?』
Hさんより
この質問は哲学的要素を含みますね。
可能な限りの見解をお伝えします。
『神』とは
あなたが信じている存在です。
天照大神でも、イエスキリストでも、あなたの内なる神でも、ソース、大いなる源、サムシンググレート、太陽でもなんであっても
あなたが唯一
絶対的に信頼できる存在
それが神です。
日本人はほとんどが仏教であり多神教なので、たまに、誰かや何かに対して『神か!』と冗談でツッコミを入れることがありますね。ここで言う神は、神様のように素晴らしい!という意味だと思います。少なくともわたしはそう言う意味で使います。
あなた自身がもし自分と言う存在が
『神と切り離された』『見捨てられた』
と思い込んでいると
諦め、孤独、絶望、悲しみ、怒り、嫉妬、不安、心配、疑い、など
『恐れ』
に基づいた感情が湧き上がってきます。
『何かしら大人になるにつれて、幼き頃の純粋な思いが、遠ざかっていくような気がするのは何故か?』と質問にありますが
もともと
『恐れ』の感情は
天敵や災害などから、身の危険を感じたときに
自分や家族を守るために機能していました。
ホメオスタシス
です。
『恐れ』は私たちを過剰に守り、
自己防衛的衝動によって、
現状から変化しないことを選びます。
文明が起こり経済が発展した結果
社会的に周りと自分が調和していなければ、
危機感を覚えるようになりました。
今日の私たちは、周りに同調し、
人と違わないように他人に合わせること、
多数派の意見に従うことが
生きる術だと思い込むようになったのです。
『恐れ』が
当たり前のようにあなたと共存しているのは
まぎれもない事実です。
しかし私たちは
『恐れ』
に対してどのように反応するかを
自分の意思で決めることもできます。
- 信頼したら誰かに裏切られるのではないか?
- お金持ちになったら人から妬まれるのではないか?
- 好きだと思いを伝えてフラれたら立ち直れないのではないか?
- スピリチュアルな力を公にしたら
- あのときのような拷問を受けるのではないか?
私たちはありとあらゆる『恐れ』によって
自分を守りながら生きているようにみえます。
しかし
『恐れ』こそが幻想であり
絶対に耳を傾けてはならない声なのです。
共存していても、『恐れ』の声に自らの意志で
耳を傾けないと決めることもできるのです。
愛は『恐れ』を凌駕します。
なぜなら
『愛』とは
『神とあなた自身との繋がりそのもの』であり
『揺らぐことのない、途絶えることのない
神への絶対的信頼』 だからです。
『神への絶対的信頼』=『無条件の愛』
があなたにあることを思い出せば
諦め、孤独、絶望、悲しみ、怒り、嫉妬、不安、心配、疑い、などといった
『恐れ』に基づいた感情によって
自分や他人を判断したり
差別や比較をしなくなります。
そうなってくると
『あなたが神と切り離されてしまったのではないか?』
という思考そのものが
『幻想』であるため
『幼き頃の純粋な思い』=『無条件の愛』
を取り戻すことができます。
だからみんな『愛』『ワンネス』『神』が大好きなんです。
全ては同じで、
わざわざ分類して分け隔てようとするから苦しみが生まれます。
『信じれば救われる』というのも
そういうことなのです。

