スピリチュアル日記

人間の死は喪失であり、遺産である

人が亡くなることは悲しみに結び付けられています。
喪失、何かを失うこと自分の中の一部分が消えて無くなってしまったかのように感じます。
それは、身近な人であるほど、大切な人であればあるほど大きく『あなたという存在そのもの』の構成要素を占めていた割合が大きいため、失う悲しみもそれに比例して大きなものとなります。
あなたに喪失感があればあるほどあなたから見て、亡くなった大切な方はあなたの一部分であり、あなたから見れば、あなたと同様に大切な存在だったということです。
大切な人が亡くなって、心にぽっかり穴が開いてしまった。何もやる気にならない。生きる気力もない。
悲しいのは間違いない、でも、悲しみと向き合う自信がない。向き合いたくない。
そんな時に、よく効く魔法があります。


亡くなった大切な人を思い浮かべながら『愛しています』と言ってください。口に出して言ってください。目の前に亡くなったその人がいるのを想像しながら心を込めて『愛しています』と言ってみてください。
『愛してるよ』でもいいです。でも、『愛しています』を言ってください。

大切な人を失ったとき『涙が流れない』という場合があります。
悲しいはずなのに『涙が出ない』ときはまだ、あなたの中で『大切な人を失った現実』に対して、感情的な処理が追いついていない状態にあり、『大切な方の死』そのものを受け入れられていない、状態にあります。

人が亡くなると、その人を失った悲しみばかりに意識が向きがちです。故人に対して怒りを覚えるのはよくあることです。

突然亡くなると『なぜ?どうして?』と、頭で理解しようと、疑問ばかりがよぎり、
事故、犯罪、天災に巻き込まれた場合には『なぜ死ななければならなかったのか?』遺族は、気持ちの整理がつかないので、亡くなった理由や経緯、原因、亡くなったときの故人の心情などを推察し始めます。
自殺の場合には、同じく、『なぜ命をたたなければならなかったのか?』について、考えざるを得ません。
大切な人が亡くなったとき、遺された人たちは喪失と同時に、遺産を受け取ります。
遺産とは、金品や土地などの物質のことではありません。
遺産とは故人があなた方に託した、見えない愛そのものです。
人は失って初めて大切な人の、肉体として存在してくれていたことへのありがたみや、偉大さに気がつきます。そして、その人がどの様に、この世界で私たちに彼らなりの愛を見せてくれていたのかに気がつきます。
故人の遺した愛の本当の意味に気がついたとき
生きていてくれただけで、嬉しかった。生きていてくれただけで、よかった。
と思うようになります。
愛は目に見えません。
その人の生き様はあなたから見れば全く理解できないかもしれません。
その人はそのような生き方をすることで、一体何をあなたに伝えたかったのでしょうか。
是非、想像してみてください。