インディゴのつぶやき,  降りてくる言葉たち

人は元気なとき 人の痛みに気づかない

人は元気なとき 人の痛みに気づかない

人は痛みを覚えているとき 人の痛みがよくわかる

だからこそ辛いことがあり 苦しいことがあり

悲しいことが起こる 人間だからこそ それが起こる

 

 

もしあなたが

辛いことや、悲しいこと、苦しいことを

経験していないのなら

 

 

この世界に起こる喜びや楽しみ、平穏や、幸せ

何気ない日常といった 当たり前の出来事のように感じられる 日常のささいな出来事に

あなたは幸福を感じることはできないだろう

 

 

私たちに感情があるのは

自分と言う存在を表現するため

 

そして

 

自分と言う存在が持っている  魂の本質に気づき  魂の声を自分に伝えるため

人は弱さを見せる時  自分が負けたように感じる

人は自分の醜さを感じるとき 自分を罪の意識で責め立てる

人は自分が辛いとき 悲しいとき

そんな時にこそ 物事の本質が見えてくる

 

 

他人の痛みは  他人のものでしかない

 

自分の痛みは  自分のものでしかない

 

それぞれの特質や 性格、性質が異なり

体感している感覚も異なる

そして

受け取る愛と 微細なエネルギーの違いが

人それぞれにある

 

 

誰かに同じことが起きたとしても

どちらも同じように受け取るとは限らない

 

 

それは独自に あなただけの経験であり

あなただけの解釈であり  あなただけの体感なのである

 

 

 

人を肩書や見た目で判断する

そういった場合

あなたも自分のことを肩書や見た目で判断している

確かに人の服装はその人のエネルギーを表している

それは事実としてそうであると言うだけであり

 

あなた自身がそれを判断するかどうかは

あなたに委ねられている

 

 

あなたが人を判断するのなら

あなたも人に判断され

 

 

あなたが人を裁くのなら

あなたも人に裁かれる

 

 

あなたが人を批判するのは

あなたが自分を批判しているからだ

 

 

イエス・キリストの言葉にこういったものがある

『人を裁くな、自分が裁かれないために』

 

 

人は全て、自分を投影した 写し鏡の存在であり

自分の中で沸き起こる感情や感覚、体感といったものは

全て自分の中のものでしかない

 

魂が近しくて似た感覚を伴う人間もいるけれども

全く同じ人間は1人もいない

 

そして世の中には自分と正反対の性質を持った人も存在する

 

お互いの個性を受け入れあい 認め合い、そして尊敬しあい

お互いを尊重することができる時

 

自分とは異なる性質の存在とも 共生していくことができる

 

 

あなたが独りよがりに自分のことだけを考え

自分の世界にとどまり 自分の内側だけを投影させた相手を

責めたてるのならば

 

 

あなた自身が常に相手から責め立てられているように感じるだろう

 

 

共に生きると言う事は 独自の個性をお互いに認め合い

助け合い 補い合い 支え合い

そして尊重し互いを思いやりながら

生きていくということである

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